“学問のすすめ”は、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり。・・・・されども今広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。」、で始まる。

明治5年に出版されたこの著述は、切言痛論、揶揄翻弄、明治の人心を刺激啓発して封建的旧物打破の業を成さんとした福沢諭吉の心意気が凝縮された代表作である。

そして、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり。されば賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとに由って出来るものなり。・・・諺に云く、天は富貴を人に与えずして、これをその人の働きに与うるものなりと。」、と続く彼の思想は、OECDインディケータ、OECD社会政策指標などの統計データが示す、「最終学歴別の就職状況」、「教育からの収益」、などで、世界共通の傾向として認識されている。

教育の必要性は、人間性の向上、独創性の構築、社会性の獲得などにあり、学校教育、家庭教育、地域社会などで実践され、私的効果としてその恩恵は将来の生活力として実現し、一方個々人の教育投資は、社会全体としては、経済力の向上という形で税収の確保に繋がり、少子高齢化社会における社会保障費の財源、民度の向上による犯罪の減少など、公的効果として国益にも合致する。

私的効果と公的効果の両面を持つ教育投資の費用負担は誰が担うべきなのだろうか。

受益者負担論と公財政負担論。OECDが示す日本の教育費公財政支出の対GDP比は3.4%であり、OECD加盟国の平均5%を大きく下回る。

東京大学に合格する学生の親の所得は他大学の親のそれよりも高く、即ち日本の教育投資は個人の財力に依存しており、即ち貧困家庭の子どもたちは人生のスタート時点から既にハンデを負っていることになる。

1989年第44回国連総会で採択された「子どもの権利条約」では、子どもを「保護の対象」ではなく、「権利の主体」とする考え方が確認されており、その中核として「学習権の確保」が謳われている。

日本の子どもたちには平等な教育機会が用意されているのであろうか。

公立高校の無償化、奨学金の拡充など、教育における個人負担は低減されたが、高等教育の支援にだけ力を注いでも実際には中学校後半の頃までに子供の学力の勝負はほぼ付いてしまっており、経済的要因や教育環境に恵まれない為に学力を向上できなかった子供達は、公立高校には入学できたとしても、大学に合格することは困難と言える。

学力(学歴)と所得には正の相関関係が認められている。勉強ができないから稼ぎが少ないのか、稼ぎが少ないから子どもに勉強をさせられないのか。生活保護家庭の子どもの高校進学率は、一般家庭に比べて低く、中途退学者も多い。また親の学歴と子どもの学力にも正の相関関係が認められており、即ち、1)貧困家庭の子どもは教育機会が少なく、2)それにより将来の獲得所得も低い。3)更に結婚後子どもができた場合も自分の子どもに対して充分な教育機会を提供することが難しく、4)その子どもは教育機会に恵まれない為、将来高収入を得ることが難しい。

世代を越えた貧困の連鎖を断ち切る政策は為されているのだろうか。

全国学力検定試験で足立区の子どもは東京23区中最下位。足立区の就学援助比率は23区中1位。足立区の犯罪件数は4年連続1位。

乱暴な表現だが、親の所得水準の低い足立区の子どもたちが勉強のできないのは当然であり、その子供たちが親になった時に所得が低いのも統計学上当然の結果と言える。そして親の学歴と子どもの学力に正の相関関係がある以上、足立区は永久に東京23区中最下位の場末の区から脱却できない。

「すべての国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないのであって、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。」、教育基本法・第三条、教育の機会均等である。

政府は何をすべきなのか。

「国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学困難な者に対して、奨学の方法を講じなければならない。」。

日本の様な個人依存型の教育投資は、貧困家庭の子どもへの私的影響として、教育機会の喪失から就業機会が限定され、高収入を得る機会に恵まれず、逼迫した生活へ繋がり、その結果としての社会的影響は、税収の減少、失業率のアップ、社会保障費の増大、格差の助長につながり、将来の教育費公財政支出の減少という形で、再度貧困家庭の子どもへの教育投資に跳ね返ってくる。

先の条文は、「子どもの学習権」を保障し、貧困の連鎖を断ち切ると共に、少子高齢化社会における安定した社会システムの構築に寄与する土台となる条文である。

初等教育から高等教育への過程で、就学援助、公立高校の無償化、奨学金の拡充と各教育段階における政策は充実してきているが、これだけで充分なのだろうか。

平成17年10月、文部科学省は「情動の科学的解明と教育等への応用に関する検討会報告書」を作成した。

情動とは、喜怒哀楽を表現する短期的な感情で、幼児期の感覚、知覚、認知、行動、睡眠リズムなどで学習される情緒で、母親や家族の愛情と共に幼児期の経験や刺激で育まれ、脳科学の観点から、その重要性が指摘されており、その後の、コミュニケーション能力、意志、意欲、記憶、注意力などの社会関係を習得する上での基礎となり、高次精神機能の構築に繋がる。

幼児教育が生涯に及ぼす影響はOECD Starting StrongⅡでも詳細に指摘されており、充分な幼児教育を受けた人物と受けなかった人物の数十年に渡る追跡調査によると、基本的な学習の到達レベル、40歳時点での年収、40歳までの逮捕歴など、全ての項目において差は歴然であり、イギリスのシュアスタート、フィンランドのネウボラなどは、一国の教育政策の柱として幼児教育を位置づけている。

以下3点の指摘は2000年ノーベル経済学賞を受賞したシカゴ大学・ヘックマン教授の主張である。

・高所得を得たり、社会的に成功する為に重要な能力は、認知能力と非認知能力。

・根性、忍耐、やる気といった非認知能力は社会的に成功する上で重要。

・就学前(幼児期)に適切な教育刺激を受けることの目的は、非認知能力の開発にある。

 

足立区の幼児教育の現状は、過去数年の待機児童数の推移からも垣間見ることができ、平成14年度以降足立区の待機児童数は何年も連続して23区ワーストを維持している。どのような対策が取られてきたか分からないが、結果的には何もしていないということを数字が物語っており、ここに低所得、低学力、高犯罪件数の足立区における改善の余地と可能性を見いだすことができる。日本の幼児教育における私費負担割合は55.7%で、OECD平均の19.8%を大きく上回り、その負担は低所得層に重くのしかかる。

幼稚園でも保育園でも認定子ども園でも構わないが、環境を整え、経済的負担を低減し、健全な情緒を育む機会を足立区の子どもたちに提供することが、近い将来の学力向上、その先の就業機会の獲得や犯罪の減少に繋がり、遠い将来の負の連鎖を断ち切る大切な布石になる事を固く信じる。

なぜ足立区が幼児教育を無償化し、待機児童を一掃しなければならないのかの意味をここに見出すことができる。

以上

2010年3月29日